DCMWebをご覧の皆様、こんにちは。
ウェブページリニューアルオープンにあたって、記念すべき第一弾のブログは、2000年の6月16日号のライトハウスに掲載された、弊社の高橋社長のDCM設立にあたってのインタビュー記事です。6年前何を考えてDCMを作ってしまったのか興味のわくところです。みなさんもそんな弊社の設立当時の様子をご覧ください!何だか共感するところもありますよ!!当時の記事の写真では見難いので、ご覧いただきやすいよう記事を添付してみました。このブログでは、これからいろいろな出来事を弊社スタッフが綴っていきます。お楽しみに!(^^) by Hiromi
4百年に一度の日に退職決行
独立してドリームカンパニーへ
自作の英語辞書
昔からアクティブなことが好きでいろいろなことに挑戦しましたが、大学時代はモータースポーツに興味を持ち鈴鹿耐久レースをはじめ数々のレースやラリーに参加しました。就職はNGKスパークプラグ。車は会社に入っても続け、28歳くらいまでラリーに出ていました。そして81年にはじめてのアメリカ赴任、行き先はシカゴでした。
実はアメリカ法人の本社がロサンゼルスにあるもので、合計すると20往復くらい、こことシカゴをテストカーで行き来しました。最高記録は一人で運転して46時間。たとえば年末などで新モデルを試さないといけないときなど、1週間で4千マイルを走ることを課されるわけです。そうすると、休みも返上してとにかく走り続ける。一日に千マイル走りながらフロリダに着いてノルマを達成したこともありました。
82年にはデトロイト事務所を開設、翌年には日本に残していた家族を呼び寄せました。アメリカでの苦労?何と言っても英語ですよね。こちらの英語が拙いと、ビッグスリーの取引先の人からそれこそ舌打ちされましたよ。それで新しい言葉はノートに書き写して、後でアメリカ人に確認して絶対に次からはその言葉を使うようにしました。ノートは何冊にもなって、もうすぐ自作の辞書ができるほどです。
お前なんか帰れ
一旦帰国して今度は出張ペースと韓国との往復が始まりました。また新しい文化との出会い、ですね。当時、米国では明日の技術について話していたものが、韓国では昨日の技術について話さないといけないという状況に直面しました。それほど差があったのですが、韓国の人々のプライドに触らないように、自分自身が基本に立ち返って親切丁寧に説明することが必要でした。
94年、再度デトロイトに赴任となります。そしてウエストバージニアに工場を設立しました。この時はあえて悪人となって、アメリカ人従業員たちのそれまでの考え方、慣習といったものに横やりを入れました。つまり、彼らにNGKのルールを覚えさせる必要があったのです。最初のうちは”お前なんか帰れ。NGKは帰国のチケットをお前に買うべきだ”などと過激なことをマネージャーたちに言われました。しかし、常に真心をもって接するという姿勢を崩すことなく続けた結果、私がアーバイン工場へ転属するときには”帰れ”と言ったマネージャーたちが涙を流してくれたんです。私も感動しました。
柔軟性、創造性、真心
そして2000年の2月29日に退職。千年に一度のうるう年、つまり4百年に一度の日に決行しました。私が常日ごろから思っている前向きな姿勢やクリエイティブさがビジネスに重要だという点は、古くから日本文化には受け入れられないこともまた事実です。そこで賛同してくれるスタッフと共に、このDCMという会社を起こしました。これは最初、Dream Company of Magokoro (真心)の意味だったんですよ。しかし、会社としてフィーリング的な名前をつけるのはどうかということで、正式にはDiversified Corporation Management として、それにクリエーションズを加えました。お客様の中に入っていって、夢がかなう経営コンサルティングを実践していきたい、そして常にフレキシブルでクリエイティブな姿勢、さらに真心を忘れずにいたい、私は今そう思っています。